これをお読みになっているあなたは、どんな思いで起業されるのでしょうか。
どんな商品やサービスを提供されているのでしょうか。
このページでは、私、真岡そらがなぜ起業家向けビジネス写真を撮っているのか、その想いをお伝えしようと思います。
23歳で結婚
短大を卒業した私は、住友商事に入社。
職場で出会った方と結婚して専業主婦になりました。すぐに男の子が2人生まれ、子育てに追われる日々。
夫の海外赴任に伴い、子供を連れてトルコ、スペインと海外駐在の妻の経験もしました。
このまま夫唱婦随で人生を生き、子供を育て上げ、夫と二人の老後を過ごすのだと信じて疑わなかったのです。
そんな人生を大きく変えた出来事が起きたのです。
突然の離婚。息子が悪性リンパ腫(癌)に…
子供たちがちょうど受験の時期になり、3回目は単身赴任でした。
夫の帰国と同時に離婚というまったく予想もしていなかったことが起きてしまいました。
離婚が決まった時、私は既に46歳。
パソコンのインストラクターや生命保険の営業…いろいろな仕事をしました。
働くことが性に合っていることに気づいたのはその頃です。
仕事を続ければ一人でも生きていける!そう思っていたある日…
最愛の息子(次男)に
(悪性リンパ腫)癌が見つかったのです。
それを聞いた時の私は崩れ落ちる様に周りの目も憚からず泣きました。
当時息子は24歳。大学を出て第1希望の会社に就職し、2年目のことでした。
(息子がこの世から
いなくなってしまうかもしれない…)
息子のいない未来を想像しても、そこにはただ真っ暗な闇の世界だけ。息子のいない世界は私には「無」でしかない。
(もし息子が虹を渡るなら、私も一緒に虹を渡ろう…)
その時私はそう決めたのです。
「時間=命」であること。
息子の病気を経て気づいたこと。それは
私に与えられた時間は命そのものなんだということでした。
私はこの時初めて、こんな大切なことを身を持って実感させられたのです。
限りあるこの命。この時間をどう使うのか?
悔いがない生き方ってどんなことをすればいいんだろう?
そしてそれは、私が1人でも多くの人に役に立つことなんだと気づいたのです。
私が生きた証を残したい。
この限りある命を1分1秒も無駄にしたくない!
ではいったいなにをすれば人の役に立つのか?必死で考え始めたのです。
カメラと父
私の両親は夫婦仲が悪く、子供心にも私はそれを薄々感じる日々。
あまり家にいなかった父でしたが、家にいる時にカメラが大好きだった父は、私に写真のイロハをすべて教えてくれました。
初めて持たせてもらったカメラの重み、カメラカバーの革の香り。
父に大きな手を添えてもらいながら、初めて押したシャッターの音。
父が亡くなった今も、その感覚は今でも鮮明に覚えています。
そんな父の影響から、高校生くらいになると、私の趣味はカメラになっていました。
魂が震えるほどの感覚
私が趣味にしていたカメラを仕事にしよう!と決めたきっかけは、起業塾の仲間の撮影をした時でした。
起業塾でのプレゼンテーション用写真が必要になっても、彼女は徹底して写真を嫌がりました。
「自分の顔が大嫌いだから、写真を撮られるのはイヤ!イヤだけれど仕方ない。私の写真を撮ってくれる?でも本当に嫌なんだよね…」
そう言っていた彼女が、私が撮った彼女の写真を見て泣き出したのです。
「私ってこんな優しい笑顔が出来る人だったんだ…」
「こんな素敵な人だったんだ…」
泣き出した彼女がみるみるうちに笑顔になり、そして気に入った写真を会社でも、SNSでも使ってくれるようになったのです。
その時の彼女の嬉しそうな笑顔。こんなに喜んでもらえることができるんだ!
写真で人の背中を押すことができる!
私が撮影する写真には人を勇気づけ、背中を押す力があることに気づくきっかけとなったのです。
「私が撮った写真で、人を勇気づけることが出来る!」
心が、魂が、震えたあの感覚は今でも忘れません。
私は、人生をかけて、写真の力で人を応援したい!
離婚や息子の病気など辛い経験をした私だからこそ、起業して一人で立ち上がる人の背中を写真の力で押したい!そして、すべての人に
「そのままのあなたが素晴らしい!」
と伝えたい!私は日々、こんな想いをもって撮影に臨んでいます。
あなたの中に眠る原石を宝石に。
起業したいけれど、自分の強みをもっと知りたい!
自分のブランディングのヒントが欲しい!
そんなあなたのビジネスの加速をお手伝いをすること。
これが、私の仕事です。
あなたの中に眠っている原石(強み・魅力)を
自然な会話の中から引き出し私が発掘いたします。
それを写真というツールで磨き上げて、ダイアモンドのように輝くあなたを実感していただきたいと思っています。
微力ではあっても、私の写真があなたの一歩を助ける力になれば、こんなに嬉しいことはありません。
おかげさまで息子の病気はなんとか完治し
今では元気に社会人復帰しています。
私は「いつこの世からいなくなることがあっても、悔いのない生き方」をこれからも続けていきます。